自然とともに生きる人生を目指して

自然が好きな人間の人生録です。

人生相談のGW

私は今27歳になるのだが、下記の記述で書いた出来事があるためまともな会社で働くのは今回初めてとなる。もちろん疾患時も働いてはいたがパートかバイトだった。むしろそれが限界の体だったのである。

元々自分は器用な方ではなく、社会人としての経験値も足りず未熟なためかなり職場で「常識」の事で怒られてしまう。言葉の使い方はもちろん、人との付き合い方など様々だ。正直私は怒られて当たり前だと思っている。なぜならば圧倒的に経験値が足りないからだ。闘病経験での「苦労」はしたが社会で働くことの「苦労」をまともに経験できなかったのだから。そして今後直していかないといけない課題でもある。

 

あともう一つ切り替えが早すぎるのも私の問題だと気付いた。今回職場の先輩と喧嘩「私は怒られてた方だが」正直どっちが悪いなんてのは無かった。纏めると、会社の車のドアが開いていた、最近私の忘れ物が目立っていたかつその車で書類を纏めていたので私が真っ先に疑われた、記憶にないから私はやってないと答えた、それでやったやってないの不毛な争いがおこったのだ。

もしかしたら私の忘れかもしれないが全く記憶にない。なのでその場ではやってないと言い切ったのだ、少し自分の記憶を疑うべきだったかもしれない。それで大ゲンカになってしまったのだ。お互い引くに引けなかったんだと思う。だがそうなる前に私の方で何とかよじれを回避できる方法はあったはずだ。その後も私は正直「辞めたらやめたでそれまで、私は自分も悪いと思うから謝りに行くが、考えて話してそれでもダメだったらそれまでの事」とすぐ割り切っていたのだ。

 

多分だが私の疾患は医者が明確に治療方を教えてくれるものじゃなかった。一応患者に一貫するダメなもののリストはあるが、さらにそれから自分の記憶をたどり、経験をさかのぼり、他に考えうる悪化要因を除去する必要があった。それを知るためには自分の体をその環境に置き、人体実験するしかなかったのだ。切り替えの早さ、ダメだった時の潔さはそこからくるものだと思う。専門学校や仕事もこの過程で諦めるしかなかったのだが。諦めるという行為は本当に辛いものだ。慣れたくもないし、慣れるべきではないとも思う。今回この経験も悪い方向へ行ってしまったのではないか?とも思う。

 

上記の事を前職場の先輩と次の日に親友に相談した。正直自分では改善点がわからない。当たり前だ、それを良しとして自分は発言したのだから。第三者に問題点をきくべきだと思ったのである。

やはり自分より人生経験の長い先輩から見て「問題」だらけだとの事、書くとさらに長くなるので省くが、色々問題点を教えてくれた。過去、先輩も同じことで悩んだようである。 誰もが通る道なのかな?