自然とともに生きる人生を目指して

自然が好きな人間の人生録です。

始めに自分のことを書こうと思った。「中編」

3年ほど体は良くなっていっている。けど「完璧には治らない状態」のまま生活していた時だった。母親が「体もだいぶ良くなったし専門学校行って学んでくるか?」と言ってくれたのだ。自分は病気になった時「何故色々チャレンジ出来る体が有ったのにしなかったのか」とすごく後悔した。なのでこれを機に新潟の自然系の専門学校へ行くことにした。

しかしながら家を出て生活環境が変わったことで自分の皮膚は悪化した。1年次が終わるころにはアトピー性皮膚炎とさらにウィルス感染に犯され、皮膚がグチャグチャの足をひこずりながら学校へ行った。でもそんな生活は長く持たなかった。2年次初めで動けなくなり1年間の自宅治療を行った。完璧に皮膚が治って再度復学したが再発して退学せざるを得なくなった。

再発の原因は「新潟の環境に皮膚が適応できなかった」というどうしようもないものだった。医者曰く年月とともに解決するようだが、薬害から回復して1年程度じゃどうすることもできなかったのだろう。

私は治っていた実家に帰って仕事をすることにした。

始めに自分のことを書こうと思った。「前編」

皆さんは闘病の経験はあるだろうか?自分はあるか無いかと聞かれると即答で「ある」

と答えられる人間だ。ちなみに私の年齢は20後半、闘病期間5~6年疾患は誰もが知ってるであろう「アトピー性皮膚炎」だ。

アトピーなんて痒いだけだろう」大半の人はそう思うだろう。しかしその痒いのがかなり厄介なのを自分は身をもって知っている。

しかしこの病気に少しばかりは感謝している。若くして長い闘病期間を経て自分がやりたいことを明確にできたのだから。

 

自分がこの病気になるまでは野外にあこがれるだけでアクションを起こさない良く言えば「慎重な」悪く言えば「行動力のない臆病な」人間だった。

キャンプ道具などは買ったがキャンプには行かず。しかしなにか満足していない。今思えばよくわからない人生を送っていた。

二十歳の頃、ホームセンターで働き始め「ここで働いて地元で暮らしていくんだろうな」とぼんやり思っていたころだった冬の時期に皮膚が悪化した。今では原因は分かっている。「洗いすぎ」だった。冬の乾燥して汗もかかない時期にホムセン勤めだからと毎日風呂場でゴシゴシゴシゴシ、今思えば荒れて当たり前だった。これを機に自分は地獄を歩くことになる。

皮膚が悪くなったら当然人は皮膚科に行く。これが間違いだった。言われるがまま出された薬を塗ったが患部は広がる一方だった。皮膚を悪化させながら1年が経とうとした頃。ある人がホムセンにアルバイトで入ってきた。

 

その人は自分と同じアトピーの人ですぐ仲良くなった。この薬の事。ひどい副作用がある事。色々と教えてくれた。流石に怖くなったのと医者が信用できなくなったので医者にかからず薬を辞めることにした。

 

1か月後ロクに体も動かせなくなり自分は仕事を辞めざるを得なくなった。

ほぼ寝たきりのまま5か月ぐらい過ごした。歩けば皮膚が割れ、鞭で打たれたかのような激痛が走り24時間365日襲い続ける激痒。掻き方は「えぐる」に近かった。痒み、痛みで眠れずどれだけ早く寝ても睡眠不足になり皮膚はうろこのように剥がれ落ちた。そのせいか眉毛太ももなどの細い毛はすべて抜け落ちてしまった。書き出すと切りがないので国外国内の患者が揃って言う言葉が「地獄」 正直この言葉はぴったり当てはまっている。毎日拷問を受けてるようだった。

疾患時によく見ていたのが登山やサバイバルの特番。TOKIOの某番組などだった。

羨ましくて仕方がなかった。外で汗を掻きながら色々探検や作業をしてるのを見て「なんで自分は何も行動を起こさなかったのだろう」とひどく後悔したのを覚えている。

そんな生活を送りながらもなんとか半日バイトが出来るくらい体は持ち直してくれたが。野外活動なんて土台無理な体だった。

これは私の人生録。

皆さんは「夢」を持っているでしょうか?私は数年前から心の根っこの部分に「自然とともに生きていきたい」という漠然とした確かな夢がありました。

きっかけはアトピー性皮膚炎から派生したステロイド性皮膚炎。6年ほどの闘病生活の中、動かすにはつらい体の中で自然と共に生きたいという気持ちはかなり膨れ上がりました。

病気になるまで行動力の無かった人間が闘病を経て行動力の塊のような人間になりました。今では造園の仕事をしながら少ない休みの日に山などに潜って森林探索などをしています。ゆくゆくはブログを見て羨ましかった「山の中での小屋生活」そんな人生を送りたいと私は思っています。

ブログではそれを目指していく私の人生の過程を書いていこうと思います。

よろしくお願いします。